北関東連続幼女誘拐殺人事件

1979年08月06日金曜日〜

北関東連続幼女誘拐殺人事件(きたかんとうれんぞくようじょゆうかいさつじんじけん)とは1979年(昭和54年)以降、栃木県と群馬県で発生している誘拐および殺人事件。
冤罪事件となった足利事件も含まれている。


概要
1979年(昭和54年)以降、4件の女児誘拐殺人事件と関連が疑われる1件の女児連れ去り事件(失踪事件)が栃木県と群馬県の県境、半径20キロ以内で発生しており、これら5事件まとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされている。
また、5つの事件はいずれも現在の群馬県太田市および栃木県足利市のどちらかで発生しているが、そのうち足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は「足利連続幼女誘拐殺人事件」ともされている。
これら事件の特徴として、以下の点が共通点としてあげられている。
被害に遭ったのが4歳から8歳までの児童である
3事件においてパチンコ店が行方不明の現場になっている
3事件において河川敷で死体遺棄されている
4事件において金曜、土曜、日曜および祝日に事件が発生している
また、これら5事件全てが未解決事件となっており、犯人特定・逮捕には至っていなかったが、時効が成立した。
事件の報道と「足利事件」の冤罪確定へ
日本テレビの報道特別番組『ACTION』や『バンキシャ!』で、記者の清水潔が「4件の誘拐殺人事件に加え、1996年(平成8年)に起きた太田市の女児連れ去り事件は連続事件なのではないか」とする観点から、2007年(平成19年)1月から報道を続けている。
同番組では、足利事件の被疑者とされていた男性が1991年(平成3年)に逮捕されて身柄拘束中であるにもかかわらず、その5年後に類似事件である「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」が発生したことから、「足利事件の解決」が不自然であるとし服役中の男性は冤罪の可能性があるとしてキャンペーン報道を展開。
DNA型再鑑定の必要性を訴え続け、再鑑定が実施されたところ真犯人と男性のDNA型は一致せず釈放となった。
2010年(平成22年)3月に再審により、男性の無罪が確定した。
2010年(平成22年)、足利事件の検証を行った最高検察庁は、足利事件を含む北関東で起きた事件が同一犯による連続事件の可能性を認めた。
該当事件
一連の誘拐殺人事件
1979年(昭和54年)の殺人事件
1979年(昭和54年)8月3日(金曜)、栃木県足利市の5歳女児が自宅近くの八雲神社境内で遊んでいるうちに行方不明となる事件が発生。
6日後の8月9日、渡良瀬川近くでリュックサック詰めで全裸のまま遺棄されている女児の遺体が発見された。
リュックサックは市内の業者の特殊仕様によるもので数十個しか売られていなかった。
1984年(昭和59年)の殺人事件
1984年(昭和59年)11月17日(土曜)、栃木県足利市の5歳女児がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。
1986年(昭和61年)3月8日に自宅から1.7km離れた場所で白骨死体として発見される。
1987年(昭和62年)の殺人事件(群馬小2女児殺害事件)
1987年(昭和62年)9月15日(火曜、祝日)、群馬県新田郡尾島町(現:太田市)に住む小2女児(8歳)が子猫を抱いて自宅近くの尾島公園へ遊びに出かけたまま行方不明に。翌年の11月27日、利根川河川敷で白骨死体の一部が発見された。
なお、東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件の犯人の宮崎勤は1989年(平成元年)3月11日、朝日新聞本社と宮崎が1988年(昭和63年)8月22日殺害した被害者の両親の自宅に「今田勇子」名義で告白文を送っているが、その告白文で群馬小2女児殺害事件について触れられている。
このため、この事件に関して宮崎の関与が疑われたが立件はされず、2002年(平成14年)9月15日に公訴時効が成立。
1990年(平成2年)の殺人事件(足利事件)
1990年(平成2年)5月12日(土曜)、栃木県足利市の4歳女児がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。
5月13日に渡良瀬川河川敷で全裸のまま遺棄された女児の遺体が発見された。
1991年(平成3年)12月2日、DNA型鑑定結果が犯人と同一人物だったことを理由に、同市内に住む当時幼稚園バス運転手だった男性が逮捕され、2000年(平成13年)7月17日に無期懲役の判決が確定する。
しかし、当時のDNA型鑑定は精度が低いことが指摘され、2009年(平成21年)5月に再度DNA型鑑定を実施した際、「男性と真犯人は同一人物ではない」という結果が出たため、同年6月に刑の執行を停止し、釈放された。
2010年(平成22年)3月26日、再審で男性の無罪が確定した。
清水潔による報道の過程で、河川敷で被害者を連れて歩く真犯人の姿が目撃されている事実が判明している。
詳細は「足利事件」を参照

関連が疑われる失踪事件
1996年(平成8年)の失踪事件(太田市パチンコ店女児連れ去り事件)(群馬県警による呼称は太田市高林東町地内パチンコ店における幼女略取誘拐容疑事件)
1996年(平成8年)7月7日(日曜)、群馬県太田市の4歳女児がパチンコ店から行方不明となる事件が発生。
この事件は女児の行方が発見されていないため、失踪事件となっている。
一連の女児誘拐殺人事件でも2件はパチンコ店からの行方不明となっており、連れ去りの手口が類似していること、この事件の発生現場であるパチンコ店の防犯カメラ映像に映っていた男が、足利事件発生時に目撃された男と似ていることなどから関連性が疑われている。
なお、当事件には被害者の発見または被疑者の検挙につながる情報に600万円の懸賞金(捜査特別報奨金300万円、地元の遊戯団体による謝礼金300万円)が用意されている。
なお、この事件は殺人事件だとすれば刑事訴訟法の改正で時効が成立していない事件でもある。
その他の未成年に関する同様の未解決事件
詳細
この節の加筆が望まれています。
上記の5事件以外にも、北関東(茨城県、栃木県、群馬県)では昭和50年代から平成にかけて少なくとも7件の未成年が関係する未解決事件が発生している。
1981年(昭和56年)の失踪事件
1981年(昭和56年)10月19日(月曜)、茨城県真壁郡真壁町(現・桜川市)の9歳の女児が小学校からの帰宅途中に行方不明になる。
1983年(昭和58年)の殺人事件
1983年(昭和58年)10月19日(水曜)、群馬県桐生市で遺体を発見。被害者は12歳の女児。
1985年(昭和60年)の失踪事件
1985年(昭和60年)10月10日(木曜)、栃木県日光市で母親の実家に帰省中の3歳女児が長男と長女と釣りで遊んでいる最中に行方不明となる事件が発生。
川は深さ40㎝ほどで溺れる可能性は低く、仮に溺れたにしても人間が流れるほどの水の勢いもないため、容易に発見されると考えられている。
事故・誘拐双方の線から捜索が行われたが、何の手がかりも発見できていない。
この事件は女児の行方が発見されていないため、殺人事件ではなく失踪事件となっている。
1987年(昭和62年)の失踪事件
1987年(昭和62年)6月20日(土曜),15歳の女子生徒が通っていた茨城県立藤代紫水高等学校から部活帰りに行方不明になる。
1987年(昭和62年)の誘拐殺人事件(功明ちゃん誘拐殺人事件)
1987年(昭和62年)9月14日(月曜)に群馬県高崎市で発生。16日に遺体発見。
この事件は戦後唯一未解決となった身代金目的の誘拐殺人事件である。本件のみ被害者は男の子。
なお、この事件は上記の群馬小2女児殺害事件(ただしこちらは身代金を要求されてない)の前日に起こっている。
1990年(平成2年)の失踪事件
1990年(平成2年)12月31日(月曜)に茨城県三和町の14歳の女子生徒が友人宅から帰宅途中に行方不明になる。
2002年(平成14年)の失踪事件
2002年(平成14年)5月19日(月曜)に茨城県取手市で9歳のフィリピン国籍の女児が自宅近くの公園で友人といるのを目撃されたのを最後に行方不明になる。
なお、この事件は15年後の2017年(平成29年)3月24日(金曜)にベトナム国籍の女児が殺害された千葉小3女児殺害事件(当該事件では保護者会会長の男が逮捕された)でベトナム国籍女児の遺体発見場所は千葉県我孫子市であるがフィリピン国籍女児の自宅、最後の目撃場所から利根川を挟んだ数キロしか離れてなかったために関連性が注目された。
ベトナム国籍女児の自宅は千葉県松戸市、ランドセルなどの遺留品は茨城県坂東市の利根川河川敷で発見された。
長期に亘り未解決で、現在も係争中の事件
2005年(平成17年)の殺人事件(栃木小1女児殺害事件)
2005年(平成17年)12月1日、栃木県今市市(現・日光市)の小1女児(7歳)が下校途中に行方不明となる事件が発生。
翌12月2日、自宅から60kmも離れた茨城県常陸大宮市の山林で遺体が発見された。
物証に乏しく捜査は難航し、事件から8年半が経過した2014年(平成26年)6月3日、被疑者が検挙された。
被疑者の年齢的に過去に起きている多数の未解決事件と本事件との関連はないと思われる。
ただし、被疑者は無実を主張しており、捜査段階の自白とDNA鑑定の信憑性が争われている。

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