奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件

1990年代
1997年05月04日日曜日

奈良県月ヶ瀬村女子中学生殺人事件(ならけんつきがせむら じょしちゅうがくせいさつじんじけん)とは、1997年5月に奈良県添上郡月ヶ瀬村(現在の奈良市の一部)で発生した殺人事件。


概要
1997年5月4日、奈良県添上郡月ヶ瀬村で当時13歳だった中学2年生の女子生徒が卓球大会の帰りに行方不明となった。
村人、警察が通学路を捜索していると、女子生徒のスニーカーが発見され、道路にはタイヤ痕、ガードレールには血痕が付着していた。
近くの西部浄化センターの公衆トイレでは切り裂かれた女子生徒のジャージと、血だらけのダウンベストが発見された。
警察はひき逃げや事件に巻き込まれた可能性があるとして捜索を開始した。
警察は聞き込み調査をすると 当時25歳の無職の男が浮上した。
男は四輪駆動車三菱・ストラーダを乗り回しており、警察やマスコミはその男をマークし始めた。
7月25日、奈良県警は略取誘拐の容疑で男を逮捕した。
男は当初容疑を否定していたが、犯行後に売却した車の後部座席に被害者の血液、DNAなどが発見された事や、切り裂かれたジャージからは男の車のタイヤ痕が発見され、それらを追及すると、男は犯行を認めた。
動機
男は犯行の動機について「車を運転して帰宅の途中、偶然被害者の少女と遭遇した。そこで顔見知りである被害者に『家に送ってあげる』と声をかけたが無視され、腹が立って、歩いている被害者の背後から車で轢き、発覚を恐れて連れ去り三重県上野市(現:伊賀市)の山中で首を絞めた上で石で撲殺した と自供した。
ある集落の話
両親と兄弟は姉が3人、妹が1人。
両親はともに日本人と朝鮮人のハーフ。
内縁関係の夫婦で、土木の仕事に就いていた。
父は無口、母親は気性の激しい性格だったが2人とも働き者で通っていた。
長姉は村に一軒しかない居酒屋で賄いをしていた。
集落には茶積み農家しかなく、O一家は浮いていた存在だった。
封建的な村社会の中、朝鮮人の血が入っていることからO一家を「朝鮮が!」と見下す者もいたという。
家は藪に囲まれたあばら屋のような借家であり、この家を借りることができたのは民生委員であったM子さんの祖父の計らいによるものだった。
家賃は月々1万円程度。
一家は30年以上、村に住みながら「区入り」(村の一員に加えること)を認められていなかった。
Oが小学3年の頃、嵩の公民館で放火事件が起こる。
村人は誰もがOの仕業だと思った。
本人に問い詰めることはしなかったが、この事件を境に村人のOに対する目は一変する。
親達の中にはOを避けるように子供に言い含める者もいた。
以来、ビニールハウスが燃えたり、祭りで現金が紛失したりすると、まずOが疑われることになった。
この事件後、Oもガラッと変わり、誰とも遊ばずに家にいることが多くなった。
中学2年になってからは学校にほとんど来なくなった。
登校しても、廊下でぽつんと1人立っていたりして友人はいなかった。
家にこもっている時はなにか気に入らないことがあると母親を怒鳴ったりと、家庭内暴力の影も見えてくるようになった。
卒業証書を同級生が家に届けに来てくれたが、Oは破り捨て燃やした。
また卒業生1人1ページずつ綴る卒業文集には彼のページはなかった。
不登校の原因については「教師からの体罰であった」とOは主張している。
卒業後、測量のアルバイトをはじめた。
1988年(O16歳)、大阪、そして東京に調理師として住みこみで働いたが、性に合わず村に戻ってきた。
以後、土木作業員や警備員、左官業などを務めたがどれも半年も続かなかった。
TVゲームなどを夜遅くまでして、朝起きられないからだと言う。
事件当時、すでに二女と三女は独立し、両親と四女、長姉とその子供3人の8人で暮らしていた。
Oはあいかわらず無職で、地域住民との摩擦が耐えなかった。
TVゲーム、ビデオ、車にばかりのめりこむ。
3月に三菱ストラーダを購入したばかりで、カーステレオでドリカムやチャゲ&飛鳥の曲を聴くのが好きだった。
滋賀県・雄琴の風俗街へはたびたび遊びに行っており、犯行前日にも行っている。
5月4日、M子さんを殺害。
犯行後は車を修理・売却するなど隠蔽工作を行ったり、村民1000人を動員した捜索にも何食わぬ顔で参加した。
まもなく疑惑の人物としてOの存在がクローズアップされるが、報道陣を前に怒鳴り散らし、潔白を主張。
逮捕前日、マスコミとの間で自動車の接触事故を起こした。
逮捕後
供述より
「断り方も知らない奴や。”もうすぐ家やからいいです”、くらいの言い方あるやろう」
「俺をよそ者やと思ってるから無視しよる。返事もしやがらん。嵩の者は俺を嫌っている。この女も一緒や」
「許さん、車を当てて連れ去ってやろう。これまでの恨みを晴らすええ機会や」
「てんご(いたずら)するつもりだった」
「俺や家族をよそ者扱いする村の人間、風習、しきたりがすべて嫌いだった」
「幼少の頃から貧しい家に育ち、嵩地区の他の家と同様のレベルの生活をすることができなかったことに加え、母親が文盲で、しかも父母の姓が異なっていたことなど、他人とは異なるという認識を持っていた」
【裁判】
2000年6月、大阪高裁は一審判決を破棄。
無期懲役を宣告した。
上告を勧める弁護団に対し、Oは訴えの取りさげを希望。
刑が確定した。
2001年9月4日午後8時頃、大分刑務所の独居房でOが首を吊り自殺。
享年29。
遺書はなかった。
4日はM子さんの月命日だった。

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